小鹿田焼
飛び鉋 ふたもの
1,575円(税込)
[特集] 小鹿田焼


小鹿田焼は大分県日田市から車で30分ほどの山中の小さな集落で焼かれています。そこでは、匠(たくみ)たちの手によって小鹿田焼の伝統を受け継がれた器がつくり出されています。
小鹿田焼の開窯
小鹿田焼の開窯は、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の技法が伝わり、江戸中期の宝永2年(1705年)に開窯したと伝えられています。当時、日田郡大鶴村にいた黒木十兵衛が小石原焼の陶工 柳瀬三右衛門らを招いて開窯したのが小鹿田焼のはじまりといわれています。現在は10軒の窯元があり、開窯当時以来、一子相伝で小鹿田焼の技術や伝統を守りつづけています。柳宗悦とバーナード・リーチ
明治、大正まであまり目立つことなく静かに焼かれてきた小鹿田焼が注目を浴びるようになったのは、昭和6年、 民芸運動の創始者、柳宗悦が皿山に訪れ小鹿田焼をすぐれた民陶と絶賛し、人々に紹介したからです。昭和29年には、柳宗悦らとともに民芸運動に参加していた英国人のバーナード・リーチが皿山に3週間滞在し、バーナード・リーチの指導した取手付けの手法は、現在も小鹿田焼で受け継がれています。益子焼の濱田庄司、河井寛次郎等もこの地に滞在し、小鹿田焼に大きな影響を与えました。
自給自足の土と釉薬
小鹿田焼の原土(陶土)は、すべて集落周辺の山からの自給です。皿山は集落全体の地質が厚い陶土層で形成されているため、表土を少し掘り下げれば陶土を掘り出せます。採土作業は年2〜3回共同で行われ、掘り出した原土は各窯元で均等に分けられます。原土は川の水を利用した唐臼で2週間程度かけてつきあげ、それを水に浸し、こしてから鉢に移して乾燥させます。ほとんどのところが機械で行っているこの土の精製を、小鹿田焼では手仕事のみで行っているため、轆轤の上に乗せられるところにくるまでには約2ヶ月かかります。また、釉薬の原料である灰も自然の植物灰にこだわり地元のものを自家生産しています。こういう面からも小鹿田焼の伝統がうかがえます。
小鹿田焼の技法
小鹿田焼は小石原から技術が伝えられて以来、ほとんど同じ技法で焼きつづけています。小鹿田焼の主な技法は打ち刷毛目、飛び鉋、指描き、櫛描き、打ち掛け、流し掛けなどがあり、中でも小鹿田焼で特徴的な技法「飛び鉋」は蹴轆轤を回しながら、生乾きの化粧土に鉄の小さな鉋の先が引っ掛かるようにして削り目をつける技法です。バーナード・リーチが興味と関心をもちながら製法が分からなかった「飛び鉋」が、小鹿田焼で用いられていたことに驚き、その製法を学びとったことが『日本絵日記』(バーナード・リーチ著)に記されています。登窯による焼成
小鹿田皿山では開窯以来今日まで、地元の薪による焼成が行われています。小鹿田焼は昭和初期までは窯元全戸が共同窯を使用しておりましたが、現在では10軒の窯元の内、5軒が共同窯、残りの5軒が個人窯を使用しています。共同の登窯は八袋(焼成室)の構造から成っていて、最下部の焚口から順次焚き上げていきます。小鹿田焼の焼成回数は、共同窯の2軒組が年6回、3軒組が年7回、個人窯は年6回です。最後の袋まで焚き終えた窯は、赤土で密封され、窯開けは、焼成後2〜3日間徐冷したのちに行われます。
以上のように、伝統を守りつづけている小鹿田焼は、平成7年に国の重要無形文化財に指定を受けました。平成8年には「残したい日本の音風景100選」にも認定されました。
小鹿田焼は今も昔も変わることなく静かな山中で川と唐臼の音が響くなか、伝統を守りながら、のんびり、じっくりとこころにやさしい器たちを生み出しています。





















